2010年12月17日金曜日

一生に一度の違和感

一生に一度、あるかないかの違和感を体験しました。

叔父が亡くなりました。
ガンの闘病中肺炎を起こし入院、退院は果たしたのですが、自宅に帰って数日後、肺炎が悪化、急転亡くなったのです。

近所の葬祭場にて、昨日お通夜今日告別式でした。

私は昨日も今日も出席したのですが…

今日のスケジュールは、丁度患者さんと患者さんとの間に告別式があって、しかも告別式の直前にある患者さんの自宅から葬祭場までが歩いて1分!(@o@;)
車に喪服を積んでいれば、患者さんに迷惑をかけずに、告別式にも間に合うという、とてもラッキーな巡り合わせでした。
これも叔父の人徳のなせる技でしょうか?

患者さんの自宅へ向かう道すがら、葬祭場の前を通ります。
そこには叔父の名前の看板が…

その看板を見ながら、私は別の用事(治療)で、その前を素通りするのです。

もう、私の父(叔父の弟)などは会場に入っている頃です。
なぜ私はそこに行かないのだろう?と…

当然、治療(仕事)であるし、治療が済んだら駆けつけ、告別式に間に合う時間の予定です。

でも、普段何気なく目にする告別式を知らせる看板にはいつもと違い、確かに私の叔父の名前。
これだけでも珍しいこと。

そしてそこに向かわない私。

「認識の大きな揺らぎ」を体験しました。




その後、治療を済ませ、大慌てで着替えをして、何とか告別式に出席しました。

叔父の冥福を祈ります。

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