2011年4月22日金曜日

ボランティア4回目(4月12日)の報告。

4/12は、朝イチでお一人、いつもの患者さんをした後で、味の素スタジアムに駆けつけ、5人を担当させてもらいました。
そして、すぐにいつもの患者さんに戻りました。
(いつもの患者さんは、お一人がお休みで、お一人は前日に移動して施術させてもらっています)
いつもの患者さんには、多少のご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。


★ここに来るまで、いろいろな経験をなさった方がいます。
4月2日土曜日の報告にも書きましたが、ここに来るまで、いろいろな経験をなさった方がいるのです。
これは伝聞ですが、5カ所も回ってきたおばあちゃま。もう移動は疲れたと行っているそうです。
次の移動は故郷の福島に帰るか、都営住宅なりの、きちんとした住まいに移りたい。
赤坂プリンスホテルは6月いっぱいで、終了する予定です。だから、赤坂プリンスホテルには移りたくない。多少居心地が悪くても動かないと決められているようです。

★利用者さんに言われたこと…
マッサージをしていたら利用者に渡辺いっけいに似ていると言われた…
同僚(毎日来ているマッサージ師)はそれを聞いて思いっきり笑った。
私は同じ渡辺でも渡辺謙に似ていると思・・・f(×_×)☆\(-_-メ)バキッ!
渡辺謙さん、石原軍団も、杉良太郎も、避難所巡りをなさっているそうで、お疲れ様です。
そして、天皇陛下も……本当にありがとうございます。

★美容師は大好評
4/12は美容師さん達が、無料カットをしていました。
とくに午前は大盛況でした。
実はちょっと髪が伸びてきていたので、本当はやって欲しかったのですが、言い出す勇気もなく、やってもらう時間もありませんでした。

鍼灸マッサージはここでも、美容院に負けている気がします。
(月1回美容室に通うのは普通でも、月1回鍼灸マッサージって多くないですよね。人は「見栄」にはお金を使っても、自分の身体には案外お金を使わない…)

★受ける人が固定してきた。
マッサージにはまって、毎日なさる方もいらっしゃいます。
私も4.1回で、利用者さんでも何度もお会いしている人も出てきました。
そこで感じるのは100人以上もいるのに、見るのは20人くらいでしょうか?
リラクセーションルームを利用する人も固定してきている感じです。
もっと幅広く利用してくれるといいと思いますが。

★桜の散歩で血圧-20
違う環境で疲れが溜まるし、緊張も解けないので、避難所暮らしは血圧があがる方が多いようです。
でも、この日は天の助けがありました。
味の素スタジアムの横にはなかなかの桜並木があるのですが、ある利用者さん、そこを散歩してきただけで血圧が20も下がって、141が121になったそうです。
桜並木のリラクセーション効果には驚きです。
桜の花にも、鍼灸マッサージはかないませんね。

★4/12はちょっと特殊な方をマッサージしました。
常駐のボランティアスタッフです。要となる人らしく、いないと回らない、でも首も回らないから来られない、助けて欲しいとのことでした。私としては、利用者とスタッフの区別はないと思っていたので、喜んで引き受けました。ボランティアスタッフもとかく無理をするので体調を崩しやすいのです。
利用者さんと重なってしまい、また寝るのがきついらしいので、座って15分でちょっと緩めてから、利用者さんをして、再開しました。寝られる様になったので、寝てじっくりとマッサージしました。
完璧には直せませんでしたが、変な姿勢しか取れなくて見ただけで寝違えているのがわかる感じだったのが、普通の姿勢を取れるようになったので、とりあえずよしとしました。
スタッフさん、お疲れ様です。

★リラクセーションルームの今後について。
さて、今後のリラクセーションルームですが、2日に1回の営業(?)に規模を縮小するそうです。つまり営業日が半減するのだそうです。
利用する方も固定化してきていますし、新しく来られる方も多くないようです。今後、いつまで味の素スタジアムを避難所として利用できるか未知数ですし、今後はどうなるのでしょう…


2011/04/20追記
味の素スタジアムは4/18時点で5月中旬まで延長になりました。
2011/04/22追記
味の素スタジアムに入所なさっている方は現在約50名で、旧赤プリ、都営住宅、各アパートへ引っ越しする方が増えています。

2011年4月20日水曜日

ボランティア3.1回目(4月9日)の報告。

ボランティア3回目の報告を上げます。4/9の時点での報告です。ちょっと遅くなってしまいましたm(_ _)m
状況は変わってきていますが、とりあえず、時系列で上げたいと思います。




★赤坂プリンスホテルに移る人も増え始めました。
赤坂プリンスホテルもいつまで避難所として使えるのか不明ですが、雑魚寝より個室でベッドもあると思います。味の素スタジアムより圧倒的に快適でしょう。やはり徐々に移り始めるのも道理でしょう。
ここ数日は地元に戻る人も多いようです。新学期を地元で迎えたいとお思いのようです。
また、味の素スタジアムはJリーグで、ベルディ(FC東京も?)が使うので、開幕と同時に避難所は閉鎖される可能性もあります。サポーターが入る部分と、入所者の方が暮らす部分は完全に分離されているのですが、はやり落ち着かなくなるだろうと思います。
今週末以降味の素スタジアムがどうなるか、今はまだ決まっていないようです。

★復興には時間が掛かりそうです。
津波で多くの漁船が被害を受けました。
最近の漁船は、FRPで出来ていて、漁港にある造船所では年間4艘ほどしか生産能力がないそうです。
そんな造船所が3つくらいしかなくて、
年間に作れる漁船は12艘ほどだそうです。
これだけでも復興の大変さが伝わってきます。

★入所者の意外な要望が聞こえてきました。
それは、もっと粗食が食べたい、と言うものです。
意外に感じるかと思いますが、詳しく話すと当然のような気がします。
朝食や夕食がどうなっているか分からないのですが、お昼はきちんとした食事を食べています。04/11は韓国料理(たぶん焼き肉)の予定です。私たちボランティアの間では「食べたぁい」と言いあっているですが…(ボランティアは余ると食べるのですが、大抵はお弁当持参なので、2食も食べるとたいへんなことになってしまいます)
入所者は、家事をするわけでもなく、漁業や農業に勤しむわけでもなく、運動量は減っています。
炊き出しボランティア(企業が多いようです)は心を込めて、一生懸命炊き出しを作ります。他と比べられて「あの企業はけちだね」と言われたくないとも思うでしょう。料理するほうには力が入ります。
入所者にはそういう思いやりが連日続いてしまい、ちょっと消化器がお疲れのようです。
いつも食べているような「もっとあっさりしたご飯がいい」となるようです。
思いやりも難しいですね。

★ようやく避難する入所者の大変さが分かり始めました。

今日で3.1回のボランティアになります。
中途半端な『0.1』は、04/08に、新たに施術師をとりまとめることになった「のびこ」さんと今後のスケジュールの打ち合わせと、ヨガと呼吸法の先生がいらっしゃったのでそれを受講しに行って、空き時間に1人だけマッサージしてきたのを0.1としましたf(^_^;)。主目的がマッサージではなかったので、『1』にはなりません。

たった3.1回で、早くも疲れました。肩こりが悪化しました。

連日終わるとぐったりします。
連日の地震報道を追いかけての夜更かしや休みがない、いつもと違う環境、新患さんばかり、というのもあるかもしれませんが、それだけではなさそうだと薄々感じていました。

今日、やっぱり避難して避難所暮らしが大変なんだとしみじみ感じました。
午後に子供がたくさん来て、マッサージをして欲しいというので、施術しました(私は1人だけですが)。
血圧が上がってしまった女性も担当させてもらいました。彼女は、自分も辛いだろうに、調子が悪いという孫(小学校中学年くらい)のほうを先にして欲しいと言っていました、私はお孫さんに「男はいい加減だからいやだ」と断られちゃったけどf(^_^;))
私が担当した少女は土踏まずの中央が張っているのです。これは強い緊張に由来していることが多い症状です。他の子供達もみなかちかちだそうです。
子供はマッサージをするとくすぐったがることが多いのに、みな気持ちいいといいます。
子供にまで、こんなにストレスがかかっているのかぁ、と感慨深い(?)です。そして
私の疲れ・肩こりも、こういうストレスを受けてのことだろうとようやく納得しました。

でも疲れは入所者や、毎日常駐しているボランティアや東京都の職員のほうが大変でしょう。
こうしてボランティアさせてもらっていることに感謝して続けていこうとは思います。が、私が倒れてしまって、sボランティアや本来業務の治療に穴を開けて迷惑をかけるのは本意ではないので、本当に自分自身の体調にも気をつけなくてはと思います。



4回目を近日中に上げますm(_ _)m

2011年4月5日火曜日

ボランティア2回目(4月3日)の報告

ちょびっと遅くなりましたが、2回目のボランティア報告です。



2日目は抱えきれないほどのご褒美をいただいて帰ってきました。


1日目(4/2)の利用者(入所者・被災者)さんに「とても楽になった」と言っていただけました。
もう新しい仕事を見つけた人もいました。
膝が悪い85歳のおばあちゃんは、前の避難所でトイレに行く途中に転倒して内出血をしていたのにもかかわらず「ありがとうございます」を連発なさってくれました。
1日目は別の先生が施術した患者さんですが、マッサージが気に入っていただいたのでまた来てくれました。その方は若いときに大事故を起こして生死の境をさまよい、身体に古傷があるので気になっていた方でした。
私の担当ではありませんが、気に入ったマッサージ(タイ式)を1日目(4/2)に引き続き受けに来た若者。
私は、利用者さんが途切れた合間に後輩にマッサージをしてもらいました。
別のボランティアさんには耳ツボにスワロをつけてもらって、ちょっと身体がほぐれ、新しい療法を知りました(明日から患者さんにできるというものではありませんが、必要なら勉強すれば得られるのですが、存在を知らないと勉強できません)。
ハワイでお仕事をしているWeb制作会社の社長さんで、ハワイ関連で力強いサポートを提供してくれそうな方と名刺交換をしました。
味の素が提供する美味しい昼食にもご相伴にあずかりました。

2日目はたくさんの出会いをいただきました。

犬も歩けば棒に当たる…
情けは人のためならず…

させていただいたこと以上のご褒美をいただいた一日でした。



今回(4/2〜3)のボランティアは、

以前、マッサージを一番必要としている人に、どう届けたらいいのかというジレンマを書きましたが、それも今回は感じません。

風邪気味なのに遠慮して、医務室に行かない利用者さんを医務室に誘導したり、
住宅相談の窓口を紹介したり、
不眠に悩む患者さんに健康相談室を紹介したり…
福島の方々はとても遠慮深いので、隠れたニーズを掘り起こし、有機的につなげる取り組みを1回目以上にできました(私だけでなく、マッサージ師全体でです)。
それはリソース(人や物といった資源)の手厚さ、しっかりした体勢、情報伝達(来たボランティアには避難所の仕組みを、得られた利用者のニーズを的確に関係部署につなげる仕組み)が整っていたからこそです。
この仕組みは、いっきゅうさんなどボランティアセンターに常駐する皆さんや、東京都の職員さんの尽力によるところが大きいです。

でもこのような情報伝達の取り組みをじっくりとできるのは、被災者と支援者のバランスが圧倒的に支援者が有利な「非」被災地ならではです。残念ならがら被災地の中ではこうは行かないでしょう。
あ、それは私が大きな災害現場にしか赴かないからかもしれませんが…

2011年4月2日土曜日

ボランティア1回目の報告

ボランティアに行ってきました。
東京都調布市の味の素スタジアムです。


今回驚いたのは、非常に避難施設のリソース(資源)が充実していること。
被災地ではなく、大都市の中に被災者が来た形なので、ボランティアの応募が利用者(?避難者?)を超えて 1868名もいる、とてもマンパワーが充実していると思います。
ですので、今はボランティアさんを断っている状態のようです。

避難所の様子ですが、体育館ではなく、教室よりちょっと狭いくらいの部屋に卓球のついたてを立てて仕切って使用しているので、大部屋よりいいです。
いる部屋のメンバーが分かるし、あまりに大部屋だと落ち着けませんし。

部屋の数にも余裕があって、勉強室などが別に作ってあります。マッサージも「リラクゼーションルーム」って別の部屋に来てもらってするので、まるで治療院のようです。

やや難点は、午後1番からは、健康体操としても、リラクゼーションルームを利用して、すごくうるさかった点。
でも1時間くらいで終わったので、そうするとある程度の落ち着きを取り戻します。

仲間の田淵先生が午前中だけ来てくれました。
私は3時までマッサージさせてもらいました(4時から歯医者さんで親知らずを抜いてきました。今は口がしびれている状態です(≧y≦*) プw)

5人を担当したのですが、5人に5つの物語があるような気がしました。

普段全くのらない電車で住まい探し(住宅相談の窓口があるので、とりまとめ役の「いっきゅう」さんがそちらも紹介していた)をしてとても疲れた。
とか、
孫がいるので、福島第1原発爆発で逃げ出して、会津若松のホテルに何泊かして、その後府中に住む娘のところに避難したけど、医師の旦那さんが救援に行っていた仙台から帰ってきて手狭になったから出てきた。
とか、
原発の保証金で建てた漁民の家はみんな流された・原発が出来てから背骨の曲がった魚・子供に原発を立てるなといった。
とか、
持病の悪化は腰、下肢が多い(なかなかリラックスできる椅子がないようだ)。
とか、
うちはめちゃくちゃで帰りたくない。
とか、

話している間、目を潤ませている人もいました。
時間が許せば、傾聴するようにしました。

明日もボランティアにいく予定です。

12日はボランティア

12日はボランティアをしてきます。

といっても、東北まで出掛けるわけではなく…

東京に避難して来ている方々への施術です。

ボランティアというと、災害のあった場所まで出掛けるのが普通で、
被災地の宿は満員で泊まれず、
そうすると、日帰りになります。

被災地まで日帰りって案外きついのです。
交通機関の復旧状況を調べてから、
中越大震災の時は新幹線で、
柏崎の時は、長岡で一泊して朝に入りました。
今回は、なんと我が家から1時間も掛かりません!
なんてラクチン!

最近は原発のニュースで、気分が優れないことが多かったのですが、
明日ボランティアが出来ると思うと、今からわくわくします、元気が出ます。

もちろん被災者の方が優先なのですが、
ボランティアさせてもらうことにありがたいと感じながら、楽しんできたいと思います。